体験談受付日 2019年 2月28日
講師 (芭蕉布) (女性)
病歴 1991年 乳がん全摘 トリプルネガティブ
抗がん剤2年間服用
お産でお世話になったk病院。 こんな形で入院するとは思いもよらなかったあの日、9階の窓からは、確か「世界陸上大会」のマラソン、夜には東京タワーの光が見えていました。
9ヶ月前、週三回東京へ社会復帰がてきてお仕事へ意欲を燃やしながら 子供の学校役員、町内会役員(輪番制)と忙しく過ごしていました。挙げ句、義父実父の二人の入院が重なり、息子は高校受験を控えていました。今思えば 人生最大の多忙時期、身体がシグナルを発信していても気が付かなかったのかもしれません。がんに罹患した方の話を聞くと「今思えばー」の心当たりが大抵あるようです。
40才、なぜ? 祖母62才、いとこが35才で同じ病気になっているのに全く忘れていた私。この先全てリセットし、生活の見直し、毎日どう生きるか、自分でできることは?通院中の主治医にお任せでよいのだろうか?
ネットのない時代、心配してくれた多くの方々からの情報が集まりました。その中で入院仲間の話から、郭林新気功「3ヶ月集中講座」の話を聞き10月には参加できたのが始まりです。
自分でする、長続き、お金のかからない、信頼できるが条件の私、萬田代表、紀子先生、K先生にお世話になりつつ励まされ、現在の私があります。
淋巴郭清している身体(結構沢山)、何が幸いしたのか 淋巴浮腫にもならず、原発のみで抑えられたのは 郭林新気功のおかげと確信しています。
気功は一日三時間 のんびりゆっくり過ごした5年間、次の5年間気功に加えて水泳とダイビング、お仕事をちょこっと取り入れ又5年、時を重ねながらの今があり、2度めの東京オリンピック観覧を楽しみに今日も風呼吸で歩いています。
食事の事
罹患前から結構有機栽培等気を配っていましたがこうなると夫に説得力がないのです。5年間 乳製品(大好きなピザ、ケーキ)は封印。タンパク質は魚中心でした。
精米機で毎回玄米を家族用には5分づき、私用は発芽玄米(発芽弁米機能付き炊飯器で)1週間に一度、宅配からの材料で大まかな食材。調味料から変えていくとハードルは高くないのでお試しを。自然の味は美味しいです。食べたい時は身体が必要としているので 身体と相談します。
1月下旬頃味噌作りもします。でも夏の気温が年々上昇し、涼しい場所が無く苦労しています。
(芭蕉布)
マル夫追記:「芭蕉布」先生の「芭蕉布」の名前の由来について聞きました。
答えは、写真の後に(写真も関連しています。関心のある方は見て下さい)
ブログ・ネーム「芭蕉布」の由来
「芭蕉布」とは、沖縄県で作られている織物のことです。植物から糸にする。沖縄県大宜味村芭蕉布会館で調べてください。中学生の頃から布が好きでした。母の洋裁、編み物を見て育ったので家には早い時期からミシン、編み機がありました。
夜、静かな部屋でスタイルブックと布地を眺めながら一人考える学生時代。布を触っているとホッとします。結局行き着いたところが 「織物を織る」「布を作る」事。そんな訳で一番の憧れ「芭蕉布」に。
植物から糸にする途方もない時間、経糸と緯糸を紡ぐ作業が好きです。
(上に写真を添付しています)
糸芭蕉は植えられませんので 昨年は綿の収穫をしました。蚕、羊は無理なので数年かけて綿糸を紡ぐ予定です。
もうすぐ桃の節句 自分用の立ち雛です。男雛の着物は義母の帯地、女雛のピンクの布は私の成人式の端切れで木目込みました(15年位前)写真を末尾に付けます。