2024年11月28日木曜日

郭林新気功の良さ(その21)体験談集『がんに克つ私の体験』について(マル夫)


 60歳以後もフルタイムで仕事をしていたが、実力に伴って多忙さは解消してきたので毎年の戸隠合宿には参加できていた。

 そんな中、2015年(66歳)の秋の戸隠合宿でTedさんたちから郭林新気功協会創立30周年を記念した体験談作りを三心会有志で行うため、投稿の協力をお願いされた。

 「郭林新気功の良さ」(その19)(11月14日付けブログ)でも一端を述べているが、萬田代表ご夫妻をはじめ講師の方々にも大変お世話になってきた私は「66歳の今も現役生活」という投稿をした。


 表紙に萬田代表ご夫妻の写真付きの『がんに克つ私の体験』が確か翌年(2016年)の春に送られてきた。
 表紙をめくると萬田紀子代表の「創立30周年に当たって」という感動的な巻頭言、「日本における郭林新気功のあゆみ」という年表に続いて、59人の会員、講師10人の体験談が記載されていた。

(萬田代表ご夫妻:表紙の写真とは異なります)


 皆さんの体験談には、総じて「自分の力でがんを克服していこうとする前向きな精神」があふれていた
 病歴や入会時期、練功の実践の違いなどによって回復や体調の差はあるものの、練功を続けることで良い結果を出している方が多いことを知り大変有意義だった。


「郭林新気功の良さ」(その21)

 多数の方々の体験談を読んで、郭林新気功は『自分の力でがんを克服していこうとする前向きな精神(伊丹先生)』を培うとともに、信心、決心、恒心という三心を樹立し、練功を続けることで結果が出せることが再確認できた。
(その21)完、次回へ続く(マル夫)

2024年11月26日火曜日

郭林新気功の良さ(その20)63歳の夏に富士山に登る(マル夫)

 一方、60歳以後の記憶に残る良い出来事は、63歳(2012年)の夏に富士山の山頂まで登れたこと。
 私は、それまで2千mを超える山に登ったことはなかった。

 知人が「富士山に登る会」を結成したが、当時は治療が必要スレスレの貧血状態で、3千mを越える高地で大丈夫かと入会をためらっていたが、別の友人からも加入を強く勧められたので入会した。

 足柄山、箱根の連山などでのリハーサルも無事こなして本番の富士山に登ってみると高山病にもならず、普通に山頂まで登れた。
 むしろ40前の健康そうな仲間の方が高山病スレスレで酸素補給品の世話になり、心配・心配と言っていた私が元気なのに仲間から大変驚かれたことを覚えている。

 半年前から登山に向けて休日には必ず毎朝3時間の自然行功をしており、歩数では1万2千歩ほどか?約10kmこれだけで歩いていたこともあり、普段の自然行功の力は大きいと実感した。

 また、自然行功でなく普通に10kmも歩くと疲れるのだが、休息もきちんととって自然行功をすると充電されるように感じて、疲れるというより体力が増強される感じ
 これは、郭林新気功協会に加入して土日に3時間の自然行功をしていたころから感じていたこと。
 なぜか?は分からなかったが、

「郭林新気功の良さ」(その20)
 郭林先生は自書で郭林新気功療法の長所の第二に病を退け、身体そのものを強くすること言っている。
 このことは(その15)でも述べたが、自然行功で練功することにより、特別な体力増強効果が得られるのだろうというのを再び体感した。
(その20)完、次回(その21)へ続く(マル夫)

2024年11月23日土曜日

郭林新気功の良さ:19年ぶりに腸閉塞で緊急入院(マル夫)


 前述のように定年前から特許事務所に入り、定年後も働いていた。
 しかし、61歳(2010年)の秋には19年ぶりに再び腸閉塞になり緊急入院した。


 腸閉塞という言葉を忘れていた私には衝撃であった。
 当時、特許事務所での多忙な業務で疲れており、加えて1日1万歩以外歩く以外は休みの日も気功をさぼるような状態であり、
 かぜをひいていたので元気を出そうと消化の悪いキムチ鍋をたらふく食べたことが直接の原因であった。


 この時は、腹痛と言ったので救急車で内科の救急担当の老健病院に深夜に運ばれた。
 担当医は早朝来て腸閉塞の管を腸にいれたが、管の扱いも良く知らない雰囲気だった。

 通常、管を入れると、すぐに腸内の滞留物が管から出てきて楽になるが、そうはならず、腹痛が断続的に続き、その日の夜8時には38度の熱がでて、口から内容物をはくと言う状態。
 医師からは痛み止めの処方を勧められたが断った。

 
 このままでは殺されると危険を感じて、消灯前に婦長に「専門病院へ転院したい」と言うとその方がいいとのこと。

 明朝すぐに院長に転院のお願いをしたところ、近くの大学病院が高額な個室なら空いているとのことで、管を入れたまま転院させて頂いた。


 大学病院で検査を受けた際に管の入れ場所を間違えているという医師の小声も聞こえた。
 管を入れ直すとすぐに腸内の滞留物が管から出てきた。
 腸閉塞の救急外来は内科ではまずいと思った。
 油断大敵と思った。また、このことで国内外の旅行場所などにも注意することとなった。 


 その後の4年間で新たに2回も腸閉塞で入院しており、前述の処置のダメージが残ったのか、あるいは、歳のせいで腸の余力が減ってきたのか、とも思っている。


 腸閉塞での入院は突然のことで所長に大変な迷惑をかけた。
 次に腸閉塞で入院したら辞職せねばと強く思って色々注意した結果、その後は入院しなかったが、一昨年、73歳の秋に入院寸前となり、結局一昨年の年末に退職した。
 完、次回(その20)へ続く(マル夫)

2024年11月15日金曜日

令和6年の三心会年功賞授与式・懇親会(マル夫)

 
11月12日(火)、前日までの寒い曇天とは一転した快晴の朝に続く暖かさのもと、
今年度の三心会授賞式・懇親会が、西新橋:銀の鈴・6階で13時15分から進行係リク丸講師のお話でスタート。 

 ウーさん講師の体操、自然行功の後、気化(休息)を十分に行い、授賞式となった。

 会場は靴を脱いで杉の床に上がるため、すがすがしい気分になることができ、休息時にマットなどを敷いて横になれるのも良くて大勢の方がそうしていた。
 マル夫も同様にして深いリラックスが得られた。

いずれもまるこ講師の書:右側の掛け軸は「満堂の和気、嘉祥を生ず」と読む

<授賞式>

 年功賞の対象者は下記(敬称略)
 萬田紀子代表名の賞状をKazzy講師が読み上げて受賞者の一人、ひとりに手渡した。

1年功: まめはち、senaka、AY、マミ、ディル、AN。
5年功: HY、みゅう。
10年功:ぱぴ子。
30年功:P子。    

  また、受賞者には、賞状と共に夫々の方が希望された文言が書かれたはがきや色紙と、お祝いの低温熟成ご飯(銀の鈴販売)が渡された。

 さまあ講師が順々に記念写真を撮る際に、外したマスクから見えた受賞者の嬉しそうな笑顔が印象的だった。


受賞者の希望した文言が書かれたはがき、色紙

 <懇親会> 

 上記の受賞者中の出席者4人の他に、昨年3年功を受けたミイさん、1年功を受けたまゆまゆさん、リリーwさん、最近再入会されたTMさん、最近入会されたのいちゃん、MAさんに加えノースポールさん(萬田紀子代表の娘さん)と講師ら6人の計17人が車座になり、14時10分からスタートした。


 司会のまるこ講師が参加できなかった方々の伝言をお伝えした後、掛け軸「満堂の和気、嘉祥を生ず(和やかな空気が部屋一杯に満ちてみんなが幸せな気持ちになれる)」の説明をしてから、くつろいだ雰囲気で始まった。

 まず受賞者からのお話を、希望した文言などとも関連付けて伺った。

 1年功のANさんは「手放す」を、ディルさんは「天上凱風」を希望しており、ご自身の色々な思いなどを語った。

 また、お二人とも最近転んだことがあるとのことで、他の参加者からも、私も・・・というコメントが相次ぎ、転倒注意で盛り上がった。


 10年功のぱぴ子講師は、入会2か月後の年功賞授与式に出て共感してもらえたことを昨日のように覚えているということから始まり、
「決心、信心、恒心」を希望したいきさつや、先輩さまあ講師へ10年続いたことへの感謝などを述べた。


 「縁」を希望した30年功のP子講師は、新聞のチラシで「縁」あって郭林新気功に出会い、自分でがんを治すことにひかれたこと、
良い仲間と出会ったおかげで(縁があって)三心だよりに携わることができて、気が付くと三心会を30年も続ける事ができた、
30年と聞くと永いと思うけど30年はあっという間でした、などと述べた。

 その後、1年功、3年功の会員さんからも「自然を感じることができてピクニック気分で気功している」、「気功を続けていかなければ」などの声が次々と上がり、
講師からも「一つ一つの動作、特に収功を丁寧にしましょう」などのアドバイスがあった。

 最後に一昨年30年功賞を受けられた86歳のKazzy講師が、「30年以上も続けられたのは会員さんがいらして講師をすることができたから、
そして今は養命功としてほぼ毎日、2時間ほど早朝練功をしており、この年まで元気でいられるのは気功のおかげ。
気功は人生を豊かにするためにするのですよ。」と締めくくり、まさに「満堂の和気、嘉祥を生じて」懇親会を終えることができた。
(マル夫)

2024年11月14日木曜日

郭林新気功の良さ(その19)「70歳まで現役」に向かって(マル夫)

 
 前述のように54歳の夏のアナフィラキシーショック入院以降、無理な仕事はしないこととし、土日は自然行功をしていた。

 また、会社の方でも私の能力に応じた重要度の低い実務にして頂けたので、その後は毎年の戸隠合宿には参加するなど、比較的健康な会社員生活も送れていた。

 一方、56歳の時に父を弔い、41歳の胃がん全摘手術後に誓った、両親を送る迄、娘2人が大学を出る迄は死ねないは達成でき、定年まで働きたいという願望も達成が見通せてきた。


 これらも手術直後の天命に従おうという気持ちから、萬田靖武先生から働きながらでもがんは退治できると力強く言われ、可能な練功のメニューを示されて、つまり希望と目標を明確にして、
がんに克つと意識変革できた郭林新気功のおかげと考えていた。


 そこで57歳の春、萬田先生ご夫妻宛にこの間の経過、お礼や新目標「70歳まで現役」のお手紙を送ったが、その時点では新目標は単なる願望だった。

 しかし、三心だよりに掲載された新目標を見て、何とか実現せねばと思って試験仲間等に相談した結果、定年後も働ける会社を紹介されてそこで働くこととなり、この新目標も達成できた。


「郭林新気功の良さ」(その19)

 郭林新気功は、『自分の力でがんを克服していこうとする前向きな精神(伊丹先生)』を培うとともに、
 信心、決心、恒心という三心を樹立し、練功を続けるということで結果が出せることを示しており、
 単にがんからの健康回復だけでなく、
 希望と目標こそが何かを成し遂げる力を示して、
 仕事と人生のパフォーマンスを最大化することにも繋がると思う。
(その19)完、次回へ続く(マル夫)

2024年11月12日火曜日

郭林新気功の良さ(その18)54歳(2003年)の秋から戸隠合宿に参加(マル夫)

 47歳の秋には本栖湖合宿に参加したが、その後は国家試験の受験勉強などで合宿には行かなかった。
 53歳のときに試験に合格したので翌年からは合宿に参加しようと考えていた。


 前回述べたように54歳の夏、自然行功もせず食物アレルギーではなく過労でアナフィラキシーショック入院した反省から、英気を養わねばと思い、その秋に初めて戸隠合宿に参加した。


 戸隠は長野県長野市の北方、標高1200mの高原で、戸隠蕎麦で有名な所。
 合宿場所は確かしゅう講師の出身の学校の研修施設で、本当の合宿という雰囲気。

 長野教室、京都教室などの方も来られていて色々な方々のお話も伺えて大変参考になった。

 大自然の中で自然行功など練功する気分のよさは最高!
 晴れた日の夜には星空がきれいだった。


 この年は戸隠蕎麦祭りが開催されていた。
 祭りに参加して皆さんと何軒も蕎麦屋を回って一盛りサービスを食べていたが、4軒目の蕎麦を食べ終わった所で胸につかえを感じた。
「私は胃がなかったんだ」と皆さんに言った所、どっと笑い声が出た。


 その後もほとんど毎年のように戸隠合宿に参加している。

「郭林新気功の良さ」(その18)
 
 戸隠合宿参加により、普段聞けない他教室の方々の体験談を聞き、パワーを頂け、やる気がでるという方も多いが、
 既に胃がんは完治と言われていた私はこれ以外に養生功「寿命を延ばし、長生きすること」(郭林先生)という郭林新気功の良さにも思いを巡らす機会を頂けた。
(その18)完、次回(その19)へ続く(マル夫)

2024年11月9日土曜日

郭林新気功の良さ(その17)54歳の夏、過労でアナフィラキシーショック入院(マル夫)


 54歳の夏のある日、私は夕食後突然に眼やのどがはれて呼吸困難になる、いわゆるアナフィラキシーショック状態となり、妻に救急車を呼んでもらい救急車で運ばれ入院した。

 国家試験に合格した翌年、会社で対応するポストにして頂いたが、50歳前で始めた新しい仕事のため、実務に必要な知識が非常に乏しく、仕事をこなすのには人一倍の勉強が必要だった。

 ベテランの上司から「先生がこの程度の仕事ですか」と揶揄される出来の悪さ、侮しくなり3か月間ほど、土日も自然行功せずに会社に休日出勤していた。

 これらの事情を医師に話すと、食物アレルギーというより過労のためではないかとのことだった。


 念のため夏休み中に大学病院に入院して食物アレルギーを詳細に調べて頂いたが特に原因は見つからず、
 過労などにより一時的に免疫力が大きく低下したためアナフィラキシーショックに至ったのだろうと結論付けられた。

 昨年までの国家試験受験時では少なくとも1年以上、土日は受験予備校に通っていたが、自然行功は毎日行っていたし、正解が明確である受験勉強のストレスは軽かったが、
正解自体が未知な仕事のストレスは過大だったと思っている。

 著しく過労でストレスも過大だと免疫力を支える腸の機能が低下してアナフィラキシーショックも引き起こすとは驚いた。

 それ以降は土日には自然行功することとし、忙しくても休日出勤は通常2日のうちの1回としたので今日に至るまでアナフィラキシーショックの再発はない。


「郭林新気功の良さ」(その17)

 自然行功などにより免疫力がアップするという郭林新気功の良さを、それを行わないことなどで免疫力が大きく低下することを思い知らされた貴重な経験となった。
 (その17)完、次回(その18)へ続く(マル夫)