リク丸先生が書かれた「三心会最後の年功賞授賞式(その1)」の末尾に「懇親会中の講師のお話などは別のいくつかのブログで示す予定です。」と書かれています。
既にP子先生、まるこ先生の書かれたブログが発行されていますが、以下にノースポールさんはじめ諸先生方の当日のお話などを記載します(マル夫が編集しました)。
記載順は当日、お話をされた順序に沿っています。
ウーさん先生が最後になっております。
最後まで読んで頂くようお願いします。
なお、当日最後にお話されたKazzy先生には個別のブログを書いていただく予定です。
また、当日、時間の関係でお話を手短にされた先生方など一部の先生方については、当日のお話にとらわれず、先生方の思いを述べて頂いています。
ノースポールさん:(長年にわたって三心会の受付係などを行ってきましたが)講師、会員さんも礼儀正しく、顔には出さない。
特に会員さんは大変な方も多く、文句を言ってきてもよいのだが、そういうことはなかった。
受付を辞めようと思っても講師の先生方のお顔を見るとやめられない、ということでもう相当な年月がたちました。
やさしい皆様方に感謝です。
Ted先生:「尊敬は今までの自分に、あこがれはこれからの自分に」これは先日、糖尿病関連の番組中、アンナちゃんと元木の対談でアンナちゃんが言っていたこと。
元木は生活習慣や食事を変えたのか、大変スリムになり、もちろん問題なし。
一方、アンナちゃんは気になったが糖尿病の疑いなしとのこと。
(アンナちゃんとは父がプエルトリコにいた商社マンで元NHKのアナとのことです)
この二人について『寛解』という言葉が使われていた。
まさに現在の自分の状態と似ていると感じた。
(話の途中で急ぎ帰路につく方に時間を譲ったので以下は言えなかったが)三心会が閉会になっても自分で練功(Kazzy先生のいう養命功)を続けていきます。
しゅう先生:私はがんではなく、長野に住む父ががんに罹り、その付き添いとして三心会に参加していました。
当時、私は板橋に住んでいました。毎週月曜日、病院での診察がおわると、父と母が長野から特急で上野駅に着きます。(まだ、新幹線は通っていませんでした。)
迎えに出た私と、タクシーで私の家に来て、一晩泊まります。
翌日、タクシーで早稲田の三心会に行きます。
教室が終わると、そのまま、またタクシーで上野駅に向かい、長野へ帰るという生活をしていました。
三心会に参加して、仲間といっしに練功すると、元気になります。
でも、家に帰り、一人になると、気持ちもちょっと下向きになるのかもしれません。
月曜日上京して、火曜日に三心会に行くと、また元気になる、というくりかえしでした。
端からみていても、仲間の力が父に勇気を与えているのだなと、感じていました。
そんな日々が半年ほど続きましたが、父のかかりつけ病院の診察日が火曜日に変わりました。
父は、その治療を終えたら三心会に戻ってくるつもりだったかもしれませんが、残念ながらそれは叶いませんでした。
私は、教わったことを父に伝えるために、父の代わりに三心会に出席していました。
そんな中で、長野に教室があれば、そこで父は仲間と練功できると思いつきました。
萬田代表には、1年以上反対されました。
今思うと、代表ご夫妻が歩んできた苦労を、私に負わせたくないというお気持ちだったのだと思います。
でも、当時は「父のために」しか頭にない私は、父の妹である叔母の助けを借り、猪突猛進しかありませんでした。
しかし、長野に教室ができた時には、もう父はいませんでした。
父には間に合いませんでしたが、父のように郭林新気功をやりたい人は必ずいるはず!
こういった縁で父が亡くなった後、講師のお仲間に入れていただくことになりました。
闘病経験のある講師の皆さんが育ってきたので、今は実技指導をしておりません。
やはり、父に闘病仲間が必要だったように、三心会に不安な気持ちを抱えて訪れる人には、同じような体験をした講師が必要だと思うからです。
その代わり、家族ががんになったときの家族の気持ちは良くわかります。
もし、患者さんとは別の意味での不安を抱えた家族の方が必要とされるのなら、私でよろしければ、いつでもお話をうかがいます。
しゅう先生のお話の後にマル夫が発言を求めて、しゅう先生は最初の戸隠合宿の宿舎紹介以降長年に亘って戸隠合宿のために戸隠での旅館の調査、紹介などを行って下さった。
大変、感謝していますなどと述べた。
同じ難治性の希少がんでお元気になった、たんぽぽ先生やリク丸先生が教室にいて下さったことで私は最初から気功を信じ今まで続けることができました。
今日、三心会最後の教室でリク丸先生の号令で自然行功ができて嬉しかったです。
ぱぴ子先生:必ず再発し治癒はないと言われている私が10年再発しないでここまで来れた。
当初、私の頭の片隅には常に再発を繰り返す自分の姿があった。
私なんて何の役にも立たない、迷惑をかけるだけの存在。
ところがそこから一歩踏み出し講師になったことで、こんな自分でも誰かの役に立てるのだと思えた。
講師になり心の持ちようが変わったことが、結果として私の病気に良い影響を与えてくれたのだと思う。
これからも微力ながら皆様とご一緒に歩いて行こうと思っている。
なお、ここで、まるこ先生から、「さまあ先生やぱぴ子先生は、コロナ禍で郭林が終わるという時期にZOOMで指導を行うということをリードして頂いた。感謝している。」というお話がありました。
リク丸先生:受賞された皆さま、本当におめでとうございます!
22年前にいただいた一年功のことを思い出しました。
入会した時は一年先の事が思い描けず、不安な中ただ夢中で毎日早朝練功をしていました。
その中での授賞式、仲間から「おめでとう」と拍手された時、温かさに包まれ一年間無事に過ごせたことに感謝しました。
23年間続けてこられたのは、萬田ご夫妻、同じ痛みを知っている心温かな仲間、
病気を明るい気持ちで乗り越えてこられた諸先輩方のお陰だと感謝しています。
郭林新気功に入っていなかったら、きっと会えることのない素晴らしい方々と会えて、楽しくご一緒に歩いてこれたことは私の宝物です。
本当にありがとうございました!
郭林新気功を始めたころは、やらなくてはとの想いで必死でしたが、今は「松静自然」「円、軟、遠」「呼吸」を大切にして、心穏やかに自然を感じ、溶け込むように心がけていると日々の練功が新鮮です。
会員のみなさまにはこれからも長く続けて、気功の素晴らしさを感じて欲しいと思っています。
気功を武器としてご健康で過ごされることをお祈りしております。
ウーさん先生:40年近く前、武道の稽古で痛めた膝を手術した後、稽古ができない状態のときに、ある武道雑誌で、北京より高級気功師董伯進来るという記事をみて、郭林新気功の講座に参加し、そのまま日本における、教室の立ち上げに参加しました。
董伯進老師夫妻の人柄にも魅せられ、郭林老師が伝統気功に歩くという要素などを取り入れ、抗がん気功として完成させたことに魅力を感じて、新気功の指導を続けています。
郭林老師が指導を始めてから50年後の今も、郭林老師の唱えた、郭林新気功がん治療の三点原理は陳腐化していません。
現在のがん治療のベースになる存在だと確信しています。
自分自身でも毎日新鮮な気持ちで練功に取り組んでおり、自分が練功をし、その力、その効果を確信しているから、その火を消したくないと強く思っています。
新しく立ち上がる教室でも、郭林の灯を消すことがないよう指導を続けることにしました。
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